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評伝:市川雄一さん死去 公明与党路線の源流 「一・一ライン」存在感 | 毎日新聞
間もなく30年になる平成政治史で、公明党は組む相手を変えながら、もう15年以上、連立与党の一角を... 間もなく30年になる平成政治史で、公明党は組む相手を変えながら、もう15年以上、連立与党の一角を占め続けている。ポスト冷戦時代に入るやいち早く同党を、政権を担い得る現実主義路線に転換したけん引役が市川雄一元書記長だった。 政治力の源泉は三つあった。政界最強実力者だった小沢一郎氏との「一・一ライン」と呼ばれた盟友関係。安全保障政策に関する抜群の論争力。そして政界に入る前、支持母体・創価学会で、池田大作名誉会長の後の参謀室長を務めた特別な経歴である。 冷戦後の日本が、自衛隊の海外派遣に道を開いた国連平和維持活動(PKO)協力法の制定時は、まだ野党だったが、憲法9条の枠を超えない範囲で国際貢献すべきだとして「参加5原則」作りを積極的に主導。三つの源泉を生かし、政界での存在感を高めた。
2017/12/15 リンク