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高野山 霊宝館 1000年後見据え、文化財を保存 “山の正倉院”開館100年 /和歌山 | 毎日新聞
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高野山 霊宝館 1000年後見据え、文化財を保存 “山の正倉院”開館100年 /和歌山 | 毎日新聞
仏像や経典など多くの文化財を所蔵し、「山の正倉院」とも呼ばれる高野町高野山の「霊宝館」は5月、開... 仏像や経典など多くの文化財を所蔵し、「山の正倉院」とも呼ばれる高野町高野山の「霊宝館」は5月、開館100周年を迎えた。開館当初から残る「本館」と「小宝蔵」は1998年に登録有形文化財になっており、建物からも文化遺産を守ってきた歴史を感じさせている。【藤原弘】 高野山では1888(明治21)年、大規模火災が起こり多くの文化財が焼失した。三井財閥を支えた実業家、益田孝(1848~1938年)や鉄道王と呼ばれた根津嘉一郎(1860~1940年)といった政財界人らが立ち上がり、山内の文化財を保存し、公開する施設をつくるため資金集めに奔走した。第一次世界大戦(1914~18年)などの影響を受けたが、18年に着工。1921年5月に開館した。 本館は紫雲殿や放光閣と名付けられた建物などで構成。壁にしっくいが塗り込められ、博物館としては木造最古級の建物だ。紫雲殿には明治期、財政に辣腕(らつわん)を振るった