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種痘の祖・中川五郎治 「青森・むつ出身」示す資料、研究家が保管 | 毎日新聞
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種痘の祖・中川五郎治 「青森・むつ出身」示す資料、研究家が保管 | 毎日新聞
中川五郎治が青森県むつ市川内町に居住したことを示す資料を保管する富岡一郎さん=青森県むつ市で2022... 中川五郎治が青森県むつ市川内町に居住したことを示す資料を保管する富岡一郎さん=青森県むつ市で2022年9月8日、遠山和彦撮影 1824年に北海道で日本最初の種痘を行った中川五郎治(1768~1848年)が少年期、青森県むつ市川内町で暮らしたことを示す資料が同町の郷土史研究家、富岡一郎さん(88)方に残されていることが分かった。択捉(えとろふ)島の役人だった五郎治はロシアに抑留された際に種痘を知り、帰国後に人々に施したが、秘術としたこともあって功績や同町出身であることはあまり知られていない。【遠山和彦】 資料は川内町で木材回船業を手広く営んだ小針屋の本家が1785年5月に行った三代目長左衛門の妻の七回忌法要の受納帳で、参列者として当時17歳の五郎治の名前が父母の小針屋佐助夫妻とともに記されている。