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刀を振り回し避難迫った工作員 サトウキビの島で起きた悲劇 | 毎日新聞
沖縄本島から南西に約450キロ離れた沖縄県・波照間(はてるま)島。サトウキビ畑が広がる島に今年、新た... 沖縄本島から南西に約450キロ離れた沖縄県・波照間(はてるま)島。サトウキビ畑が広がる島に今年、新たな慰霊碑が建った。碑文には「私達は、この史実を決して忘れてはならない」と刻まれている。79年前の第二次世界大戦末期、日米の地上戦がなかった、この八重山(やえやま)地域の島々でも多くの住民が命を落とした。 沖縄本島に米軍が上陸した1945年4月のある日の夜。当時14歳だった大嶺スエさん(93)は母や妹、弟と一緒にカツオ漁船に乗り込み、暮らしていた波照間島を出た。向かったのは対岸にある西表島南部の南風見田(はいみだ)。「命令だからさ。みんな避難したさ」 県史などによると、波照間島の島民に疎開(避難)の命令が出たのは45年3月。青年学校の教師として赴任してきた人物が「反対する者は切り捨てる」などと刀で脅し、避難を迫った。この人物は、諜報(ちょうほう)要員などを養成する陸軍中野学校の出身で、身分を隠
2024/06/26 リンク