エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【蒲田橋跡】昔を伝える標識があるのはよいことだ…というお話 - 境目と鉄道…
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【蒲田橋跡】昔を伝える標識があるのはよいことだ…というお話 - 境目と鉄道…
写真1 歩道上の標識 歩いていたら、歩道上で光っている金色の□が目に留まりました(写真1)。 写真2 蒲... 写真1 歩道上の標識 歩いていたら、歩道上で光っている金色の□が目に留まりました(写真1)。 写真2 蒲田橋跡の標識 立ち止まってよく見ると、写真2のごとく何やら書いてあります。ここに橋があったようです。 写真3 逆川跡 写真3は、写真1と90度異なる方向から撮影した風景ですが、奥へ続く道は川だったようです。 写真4 蒲田橋親柱 写真3の道を奥へ進むと写真4のようなものがありました。ここは逆川が呑川に合流していた地点で、保存されているものは蒲田橋の親柱です。写真1~3の場所にあったそうです。蒲田橋が架けられたのは1930年ですから、93歳ということになります。もっとも1967年に逆川は埋立てられたそうですから、本来の機能を果たしていたのはそのうちの1/3程度だったわけですね。 ◇ ◇ ◇ 昔はどのような状況だったのか、調べてみました。 【注記】本書掲載の空中写真は、国土地理院「地図