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チンジスハーン=源義経伝説について② : モンゴル情報クローズアップ!
皆様、こんにちは、ひでです。 「源義経は大陸に渡って、チンジスハーンになった」 富山県高岡市にある... 皆様、こんにちは、ひでです。 「源義経は大陸に渡って、チンジスハーンになった」 富山県高岡市にある「雨晴海岸」。地名の「雨晴」は源義経一行が奥州平泉に逃れる際、ここで雨宿りをしたからだと伝えられている。 前回、日本の武将・源義経には、「義経北行伝説」という、古くから「奥州北方へ脱出し蝦夷地(北海道)に渡った」という伝説が語り継がれ、江戸時代に入ると遂に大陸に渡り、チンジスハーンになったのだ。という誇大妄想の領域にまで伝説が広まってしまったところまでお話したかと思います。今回は、その続編です。なぜ、義経が遠い異国の建国者であるという伝説にまで広まってしまったのか。日本において「義経=チンジスハーン」説をもっとも最初に提唱したのは、実は日本人ではありませんでした。では、一体誰か? チンジスハーン=義経説を支持したオランダの軍医、シーボルト フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。ドイツ人医師
2014/07/12