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むかごの高槻
昨日の記事、二条駅界隈に平安宮遺跡を訪ねるにも取り上げた神泉苑ですが、旧平安宮の諸施設のほとんど... 昨日の記事、二条駅界隈に平安宮遺跡を訪ねるにも取り上げた神泉苑ですが、旧平安宮の諸施設のほとんどがその後の歴史的変遷で地中にうずもれてしまっている中で、当時の平安宮の片鱗が今も地上の形となって存在しているという意味では興味のある場所といえます。 神泉苑は、延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑でした。もともとここにあった古京都湖(古山城湖)の名残の池沢を庭園に整備したものと考えられ、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園だったと伝わります。 天長元年(824)弘法大師空海が祈雨修法の際、勧請された善女龍王社を祀り、池にかかる 法成橋は、空海が法力を成就させたことから『一願成就』の橋としても知られます。東寺真言宗の寺院があり、本尊は聖観音・不動明王・弘法大師です。 境内に「