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菟道皇女と池辺皇子
七年春三月戊辰朔壬申、以菟道皇女侍伊勢祠。卽姧池邊皇子、事顯而解。八年冬十月、新羅遣枳叱政奈末、... 七年春三月戊辰朔壬申、以菟道皇女侍伊勢祠。卽姧池邊皇子、事顯而解。八年冬十月、新羅遣枳叱政奈末、進調、幷送佛像。九年夏六月、新羅遣安刀奈末・失消奈末、進調、不納以還之。 即位7年春3月5日。菟道皇女(ウジノヒメミコ=敏達天皇の娘で菟道磯津貝皇女)を伊勢の祀(マツリ)に仕えさせました。すぐに池辺皇子に侵されました。事件が明らかになって解任になりました。 即位8年冬10月。新羅が枳叱政奈末(キシサナマ)を派遣して調(ミツキ=税)を献上し、あわせて仏像を送りました。 即位9年夏6月。新羅は安刀奈末(アトナマ)・失消奈末(シショウナマ)を派遣して調(ミツキ)を献上しました。日本はそれを納めず、帰しました。 池辺皇子 敏達天皇の娘の菟道皇女を犯した人物である池辺皇子。ここ以外ではこの名前では出てきませんが、「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」によると、用明天皇の諱(イミナ)が池辺皇子だったとあります。 つ