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日本でしか通用しなかった「世界の亀山モデル」。液晶で伸び、液晶で散った悲しいシャープの歴史 | 日刊SPA!
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日本でしか通用しなかった「世界の亀山モデル」。液晶で伸び、液晶で散った悲しいシャープの歴史 | 日刊SPA!
経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が... 経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回はシャープ株式会社の業績について紹介したいと思います。 シャープは日本を代表する電機メーカーの一つであり、戦前はラジオメーカー、戦後は総合家電メーカーとして成長しました。2000年以降は液晶に注力し、「世界の亀山モデル」を生み出した亀山工場、そして堺工場と次々に大型投資を進めました。しかし台湾・韓国勢の台頭で苦戦し、やがて台湾の受託生産大手・鴻海グループの傘下に入ります。液晶で伸び、液晶で散った悲しいシャープの歴史を振り返ってみましょう。 シャープは1912年に早川徳次氏が始めた金属加工業をルーツとします。1915年にはシャーペンの語源となる金属製繰出鉛筆を発明し、25年には国産第1号となる鉱石ラジオ受信機を発売しました。戦前はラジオメーカ