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現象とコトバの間に|編集長|小さな医療
現象と記憶 「現象」と「記憶」は似ているように思います。どちらも「私」の中に立ち現れる、個人的なも... 現象と記憶 「現象」と「記憶」は似ているように思います。どちらも「私」の中に立ち現れる、個人的なものです。 ただし、現象は可塑性のある、きわめて刹那的なものです。私の中に立ち現れた現象は、すぐに変質してしまうのです。 現象にはこういった特性があるということを、ぼくらは忘れがちです。すなわち、いつまでも現象は現象としてぼくらの体内に残っているように錯覚してしまっています。 しかし、そうではないのです。 現象を伝えるためにコトバを使う 現象は個人的なものであるため、他人と簡単に共有することができません。ぼくの感じる痛みと、あなたが感じる痛みは、同じものかどうか比べようもないからです。 だからこそ、現象を比較するときには「コトバ」を介しています。言語化しにくい現象をなんとかコトバに表現し、他人に伝えようとしているのです。 ここにひとつの壁があるわけです。 現象とコトバの間に記憶が介在する このと