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やる気の出し方
note.com/bycomet
現象と記憶 「現象」と「記憶」は似ているように思います。どちらも「私」の中に立ち現れる、個人的なものです。 ただし、現象は可塑性のある、きわめて刹那的なものです。私の中に立ち現れた現象は、すぐに変質してしまうのです。 現象にはこういった特性があるということを、ぼくらは忘れがちです。すなわち、いつまでも現象は現象としてぼくらの体内に残っているように錯覚してしまっています。 しかし、そうではないのです。 現象を伝えるためにコトバを使う 現象は個人的なものであるため、他人と簡単に共有することができません。ぼくの感じる痛みと、あなたが感じる痛みは、同じものかどうか比べようもないからです。 だからこそ、現象を比較するときには「コトバ」を介しています。言語化しにくい現象をなんとかコトバに表現し、他人に伝えようとしているのです。 ここにひとつの壁があるわけです。 現象とコトバの間に記憶が介在する このと
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国立社会保障・人口問題研究所[1] によると、65歳以上の老年人口(老年というのが適切な呼称かどうかはさておき)は、平成22(2010)年では2,948万人。推計人口では、平成32(2020)年には3,612万人へと増加し、平成54(2042)年に3,878万人とピークを迎える。 日本全国では向こう30年で老年人口が900万人以上、関東地方だけでも400万人以上、東京都は140万人増加する見通しだ。 近い将来、高齢者とともに認知症患者も急増するに違いない。 認知症患者が列車にはねられ死亡した愛知県の事故で、名古屋高裁は妻に監督責任を認め損害賠償を命じる判決が出た。認知症が原因で徘徊し、家族らが行方不明者として警察に届け出た人の数が2012年に全国でのべ9607人にのぼり、そのうち約180人が行方不明のままになっているそうだ。 これからの日本はどうなっていくのだろうか。 正義の思考回路 つい
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