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【しらなみのかげ】「自然化」と「歴史化」の中で「人間」から/を問うこと―19世紀ドイツ思想哲学史概観 #36|雁琳の『晦暝手帖』
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【しらなみのかげ】「自然化」と「歴史化」の中で「人間」から/を問うこと―19世紀ドイツ思想哲学史概観 #36|雁琳の『晦暝手帖』
18世紀後半のアメリカ独立革命、そしてイギリスの産業革命とフランス大革命に端を発した「近代」という... 18世紀後半のアメリカ独立革命、そしてイギリスの産業革命とフランス大革命に端を発した「近代」という時代は、一言で言えば、常に「人間」が問題となる時代であった。この時代においては、あらゆる問いが「人間とは何か」という問いと共に問われていた。「「人間」は波打ち際の砂の表情のように消滅するだろう」と『言葉と物』(1966)の末尾にミシェル・フーコー(1926-1984)は書いたが、絶えずその内容を問い続けなければならなかった、抽象的で一般的な概念としての「人間」こそ、この「近代」という時代を根本的に規定するものであったことは疑いようがない。 近代の曙を生きたケーニヒスベルクの哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)は、よく知られるように、哲学の課題を三つの問いで表している。曰く、「私は何を知りうるか」「私は何を為すべきか」「私は何を望んでよいか」。そして、この三つの問いは次の一つの問いへと