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「性的潔癖主義」の行く末と、「嫌なことがあったら嫌と言える」社会はどうすれば実現するのかについて。|倉本圭造
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「性的潔癖主義」の行く末と、「嫌なことがあったら嫌と言える」社会はどうすれば実現するのかについて。|倉本圭造
Photo by Jemma Pollari on Unsplash さっきまで全然違う記事を書こうと思っていたんですが、喫緊で自分... Photo by Jemma Pollari on Unsplash さっきまで全然違う記事を書こうと思っていたんですが、喫緊で自分もほんのちょっと関わってしまった事件のようなものがあるのでその話をします。 3年ほど前に、いわゆる「me too」運動的な形で、戦場カメラマンの久保田弘信氏という人が、大枠で言うと「性加害」で告発されているnoteが凄い出回っていたんですね。 内容が凄く迫真的で(に見えて)、その”文中における”加害する男のクズっぷりがやばくて、僕もついツイッターでシェアしてしまったんですが。 その件についての裁判が終わって、「その匿名noteの内容は事実と認められず、逆に名誉毀損で慰謝料100万円の支払いが命ぜられた」そうです。 うかつながら、この「裁判の結果が出ました」というお知らせツイートがバズってるのを見ても、自分が昔その記事をシェアした事件の「その人」のことだという事