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清岡卓行「ミロのヴィーナス」で何を教えるか(「国語の授業は意味がない」になる仕組み)|えにぐま
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清岡卓行「ミロのヴィーナス」で何を教えるか(「国語の授業は意味がない」になる仕組み)|えにぐま
教材「を」教える授業の在り方から、教材「で」教える授業に変えていきましょうという話を、清岡卓行「... 教材「を」教える授業の在り方から、教材「で」教える授業に変えていきましょうという話を、清岡卓行「ミロのヴィーナス(手の変幻)」の授業の紹介と共にお話していきます。 教員や高校生のほか、教育実習を予定している大学生の方にも読んで頂きたい記事です。 国語科の「課題」 少し堅苦しい引用からはじめます。平成30年公示の学習指導要領で示された、国語科の「課題」の一つです。 高等学校では、教材への依存度が高く、主体的な言語活動が軽視され、依然として講義調の伝達型授業に偏っている傾向があり、授業改善に取り組む必要がある。 相変わらず読みづらい文章ですが、この箇所は噛み砕くまでもなく、教室での場面が具体的に想像しやすいのではないでしょうか。特に注目したいのは「教材への依存度」という文言です。 現代文で夏目漱石『こころ』を扱っていて、先生が50分かけて「その先生の解釈」を講釈する。生徒たちはそれを考査に出る