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「核」と「原子力」——潜在的核保有への欲望とナショナリズム|Masanobu Usami
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「核」と「原子力」——潜在的核保有への欲望とナショナリズム|Masanobu Usami
8月6日と9日は改めて”Atoms for Peace”、「夢の原子力」の欺瞞を直視すべき日。「原子力の平和利用」は... 8月6日と9日は改めて”Atoms for Peace”、「夢の原子力」の欺瞞を直視すべき日。「原子力の平和利用」は「核による加害」を免責し「核の軍事利用」を封印しないためだったし、日本における原子力推進には潜在的核保有への暗い欲望がある。そして、「原子力」に希望を見出し使う側に回ることで、被爆と敗戦の傷を克服しアメリカを赦そうという倒錯。 被爆国としてその悲惨な実相と教訓を世界に、また後続世代に伝えていくことは当然重要なのだが、「被爆国」「被爆国の国民」というアイデンティティを以ってナショナリズムが動員されてきたこと、原爆による圧倒的被害が戦争そのものについても被害者あるいは受苦者の位置を取らせるように作用したこと、これらも直視すべきであるし、「被爆」をそのように利用する言説に絡めとられないようにしなければならない。 山本義隆「核燃料サイクルという迷宮——核ナショナリズムがもたらしたもの