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仏教の無我説、非我説について(1/2) - OKWAVE
個人的には、我という主体はあるけどそれは定義できないという意味だと思います。仏教については専門外... 個人的には、我という主体はあるけどそれは定義できないという意味だと思います。仏教については専門外ですが・・・ 『私』などというものは幻想(マーヤ)であり、本当は実在していないというのは、仏教以前のヴェダーンタの教えにも見られます。 聞いた話では、非我説というのは、仏教より以前からあり、古代ヴェーダの時代からネーティ(否定)という言葉で、自己の本質を弟子に伝えてきたということのようです。 つまり自己は○○であるといい現すことは不可能である。否定を通してしか、自己の本質を言い表すことが出来ないという事です。(このあたりウパニシャッド文献などに書かれており、日本語訳も数冊出ています。) ブッダはよく、知識について当時主流派だったバラモン(知識階級)との議論をしていたと聞いています。バラモンはアートマンが永遠不変の真我であると説いていたのですが、仏陀はアートマン(我)というものは無いと言ったのだと
2013/01/22 リンク