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日本の歴史的名演説は?
国際舞台での名演説があります。 というよりは、世界の歴史に残る演説になる高邁な理念の演説だったので... 国際舞台での名演説があります。 というよりは、世界の歴史に残る演説になる高邁な理念の演説だったのですが、なりそこなったという方が正しいかもしれません。 1919年4月のパリ講和会議での日本全権団牧野伸顕・男爵の演説です。 当時は、白人優位の世界で、西洋諸国は植民地経営で暴利を貪り、人種差別は当然のごとく行われていました。 もちろん日本人も、黄色人種として差別され続けていました。 アメリカ大統領トーマス・ウイルソンは、講和会議の場に、それまでの歴史になかった全く新しい提案を持ち込みました。世界の平和を維持する機関として、国際連盟を設立しようと言うのです。 日本はウィルソン大統領の提唱する「世界国家平等」に同調し、この会議が人種平等を提唱する好機であると判断しました。 1919年4月11日、国際連盟の規約を決する最終会議が開かれました。参加者は18人、議長は、アメリカ大統領・ウイルソンでした。