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江戸幕府の財政悪化~享保の改革前~
徳川幕府の税金は、原則として 検地による石高に基づく米での現物納付です、この米は大阪等の市場で相... 徳川幕府の税金は、原則として 検地による石高に基づく米での現物納付です、この米は大阪等の市場で相場で売り渡され、幕府や藩の資金とされました 他の回答にもあるように「米価安の諸色高」のため充分な資金を得ることは困難でした そのうえ 米以外には、ほとんど課税されず、石高は、江戸初期のままで、農業技術が進歩し、収量が増えても、そのまま据え置かれました ですから、江戸初期に4公6民でも、収量が3割増えれば、4公9民となり、実質税率40%が31%になり 米以外の割合が増えますから、実質税率はさらに下がります、ある資料によると農業収入の1~2割だそうです 結果として、幕府や藩の収入は江戸初期からほとんど変わらないのに、武士以外の収入は漸次増加して行き、生活レベルが向上してきました 社会全般のレベルが向上し、費用が余計にかかるようになっても 幕府・藩には増収の手立てがありません これが根本的な原因です