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戦争とは何なのか? 焼け跡世代からのメッセージ~ちばてつや
僕は父の仕事の関係で、終戦を旧満州の奉天で迎えました。6歳のときのことです。当時の満州には100万人... 僕は父の仕事の関係で、終戦を旧満州の奉天で迎えました。6歳のときのことです。当時の満州には100万人の日本人が住んでいました。 (上)終戦の前年、旧満州で撮った家族写真。後列左から2番目の一番大きい子がちばさん。(下)旧満州での難民時代を思い出して、ちばさんが描いたイラスト。徐さんという中国人にも助けられ、なんとか生きて帰った。当時、旧満州では20万人以上の日本人が亡くなった。 日本人の居住区は高い壁でぐるりと囲まれて、入り口を日本軍の兵隊が警備していました。大人からは、子供は居住区から出るなと言われていましたが、よく外の中国人街に遊びに行って、怒られましたね。終戦前の満州は食料こそ不足していたものの、空襲などはあまり無く比較的平和でした。 でも、1944年の秋くらいから、ちょっとずつ町の雰囲気が変わり始めました。町へ出ると、日本人を見る周囲の中国人や朝鮮人たちの目つきが、険しくなってきた
2015/08/18 リンク