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立花隆「文明のベクトルは速度を上げながら破局に向かっている」 人類は自然をもっと恐れるべきだ
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立花隆「文明のベクトルは速度を上げながら破局に向かっている」 人類は自然をもっと恐れるべきだ
自然は「数量化できない要素」に満ち満ちている 自然は、われわれがとらえたと思っているものより、常に... 自然は「数量化できない要素」に満ち満ちている 自然は、われわれがとらえたと思っているものより、常により広く、より深い。――私はここで“自然”ということばを、自然科学が対象とする自然よりも広い意味で使っている。自然というよりは、現実のすべてとでもいったほうがよいかもしれない。 自然をとらえようとするとき、われわれはどんな操作をほどこすだろうか。それは、抽象化、単純化、数量化などである。そのそれぞれの操作のたびごとに、とらえようとした現実の自然はのがれ去り、ゆがめられた自然のモデルが残る。 現実の自然は常に具体的で、無限に複雑かつ多様で、そこには測定不能のもの、つまり数量化できない要素が満ち満ちているのである。人間が直観的に理解できるのは、三次元の空間までである。これを、関数のグラフ化ということと結びつけて考えてみると、人間は三つの座標軸を持った空間の中にある関数しか直観的に把握できないという