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シティポップはここから始まった…ユーミンを国民的歌手に変えた「日本初の仕掛け」を解説する 「テレビドラマ・タイアップ」という新手法
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シティポップはここから始まった…ユーミンを国民的歌手に変えた「日本初の仕掛け」を解説する 「テレビドラマ・タイアップ」という新手法
世界で人気のシティポップは、どのように生まれたのだろうか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「松... 世界で人気のシティポップは、どのように生まれたのだろうか。音楽プロデューサーの川添象郎さんは「松任谷由実の1、2枚目のアルバムには細野晴臣、山下達郎、大貫妙子らそうそうたるメンバーが参加したが、売り上げはイマイチだった。3枚目のアルバムからのシングル曲『あの日にかえりたい』をテレビドラマ・タイアップにしたところ、大ヒットした」という――。 ※本稿は、川添象郎『象の記憶』(DU BOOKS)の一部を再編集したものです。 デモテープを聴いた瞬間「才能を見つけたぞ!」 1972年、村井邦彦がヤナセ自動車の社長・梁瀬やなせ次郎と親しくなり、なにか文化的な仕事をやりたいという梁瀬次郎とともに原版制作会社として〈アルファ&アソシエイツ〉を立ち上げた。 そのアルファ&アソシエイツで作詞・作曲家として契約していたのがユーミンこと、荒井由実だ。