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娘を産む直前に恋人と死別…笠置シヅ子の人生最大の苦境を吹き飛ばす歌として名曲「東京ブギウギ」は生まれた 服部良一は中央線の振動音で曲のひらめきを得た
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戦後の焼け跡と強く結びついた笠置シヅ子の記憶 笠置シヅ子の記憶は、「戦後」と抜き難く結びついている... 戦後の焼け跡と強く結びついた笠置シヅ子の記憶 笠置シヅ子の記憶は、「戦後」と抜き難く結びついている。 1985(昭和60)年に彼女が死去したときの新聞記事の見出しは「焼け跡に明るいリズム」「暗い世相吹き飛ばす」(朝日新聞4月1日)、「戦後世相へリズムのパンチ」(読売新聞同日)、「焼け跡にブギウギ」(毎日新聞同日)というもので、朝日と読売では、「ブギの女王」という形容が、彼女の名前の上に冠されている。 しかし、笠置と作曲家・服部良一のコンビは、音楽的には日米開戦直前、「ラッパと娘」が生まれた時点でひとつの頂点を極めている(少なくとも私はそう考えている)。そして、戦前の「スウィング」と戦後の「ブギウギ」は音楽的には明らかに連続しており、大きな断絶はない。「ブギウギ」のリズムも、後述するように服部は戦中にすでに試みていた。 とはいえ、「スウィングの女王」と「ブギの女王」の意味合いは同じではない。