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なぜ品川駅は「品川区」ではなく「港区」にあるのか…そして品川駅の南に「北品川駅」が存在するワケ 「鉄道反対運動」を解決した大隈重信の奇抜なアイデア
鉄道がどんなものなのかわからない時代ゆえに激しい反対運動が起き、結果的に駅の場所がずれてしまった... 鉄道がどんなものなのかわからない時代ゆえに激しい反対運動が起き、結果的に駅の場所がずれてしまったのである。 品川といえば、江戸時代には東海道五十三次の第一の宿場として栄えた町。鉄道の計画を聞いて、住民たちは宿場がすたれ、失業者が続出するといった恐怖を抱いた。今なら鉄道が走って駅ができれば町の活性化につながると歓迎されるところだが、当時は未知の交通手段であり、どんなことになるのか想像もつかなかったらしい。 大隈重信が出した「奇抜なアイデア」 強硬な反発により用地が確保できない状況に陥ったとき、奇抜なアイデアを出したのが、計画を推進していた大隈重信だった。海に目を向け、埋め立て地に線路を通せばよいと考えた。こうして昼夜を問わず干潮時をみはからって埋め立て工事が行なわれ、品川宿からは離れた埋め立て地に駅が誕生したのである。すぐ南は波打ち際だったという。 その後、1902(明治35)年になって最初
2024/03/05 リンク