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W杯優勝を遂げた南ア代表黒人初主将、シヤ・コリシ物語(ラグマガW杯展望号再録) - ラグビーリパブリック
ワールドカップ優勝を成し遂げ、金メダルを胸に、娘を抱くシヤ・コリシ(Photo: Getty Images) 人種差... ワールドカップ優勝を成し遂げ、金メダルを胸に、娘を抱くシヤ・コリシ(Photo: Getty Images) 人種差別問題を抱えていた南アフリカ社会で闘い、黒人、白人、さまざまな人種がいるレインボーネーションを一つにしたネルソン・マンデラは、1995年の自国開催ラグビーワールドカップで優勝の歓喜に包まれたスタジアムで、フランソワ・ピナール主将と同じ背番号6がついた緑色のジャージーを着て、笑顔で誇らしげに大観衆の祝福に応えていた。 あれから24年。英雄マンデラと同じ6番をつけるのは、南ア代表「スプリングボックス」の第61代主将、シヤ・コリシだ。 かつて白人ナショナリズムの象徴といわれたスプリングボックスの127年の歴史で、初めての黒人キャプテンである。 2018年6月9日にジョハネスバーグのエリスパークでおこなわれたイングランド戦で、初めて主将としてスプリングボックスをけん引した。 その年に
2019/11/04 リンク