![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1525fa951e52d14dc99217322ecc0a3df8868b0b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fryukyushimpo.jp%2Ftachyon%2F2024%2F05%2Fogp_1200-675_ryukyushimpo_logo.png)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
知事式典欠席 代理出席は逆効果 - 琉球新報デジタル
仲井真弘多知事は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に政府が主催する「主権回復の日」式... 仲井真弘多知事は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日に政府が主催する「主権回復の日」式典を欠席する。沖縄の歴史を振り返れば当然の決断だ。 知事は「あそこ(講和条約)で沖縄は切られ、主権回復どころか米軍の施政権下に放り込まれ、えらい苦労させられた。今の基地問題はみんなそこから来ており、61年がたってもほとんど変わっていない」と開催に不満を示していた。 1952年の講和条約発効で、沖縄、奄美、小笠原諸島が日本から切り離され、米国による異民族支配が始まった。同条約を「沖縄の潜在主権を確認した、復帰に向けての第一歩」と捉える向きがあるようだがこじつけにすぎない。 「潜在主権」という造語は、ダレス米国務長官(当時)がひねり出した方便である。日本側の解釈がどうであれ、米は日本に譲歩したのではない。名目上日本の主権を認めることで領土不拡大の原則を守り、琉球を占領する意図がないことを示したにすぎ
2013/04/13 リンク