エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
朝鮮人「悲しみの地」ウトロに…平和祈念館が開館
日帝強占期に飛行場建設に動員された朝鮮人が暮らしてきた京都府宇治市ウトロ地区の歴史を伝え、平和を... 日帝強占期に飛行場建設に動員された朝鮮人が暮らしてきた京都府宇治市ウトロ地区の歴史を伝え、平和を願う「ウトロ平和祈念館」が先月30日に開館した。[写真 キム・ヒョンイエ東京特派員] 先月30日午前9時50分ごろ、京都府宇治市ウトロ地区の「ウトロ平和祈念館」玄関前。「まもなく開館式が始めるので席に就いてください」という案内放送が流れている中で、地区長のソ・グァンスさん(74)は落ち着かず何度も祈念館を見上げた。 ウトロは太平洋戦争の最中だった1941年当時、日本が沼地に飛行場建設を始めながら形成された地区だ。当時、半強制的に朝鮮からやって来た労務者1300人余りの一部は飛行場が半分ほど作られた45年、日本敗戦後もここに放置された。ウトロはそのようにして作られた。 朝鮮から移住したソさんの祖父母はここに住み着いた。ソさんは48年、京都で5男1女のうちの4人目として、1歳の時からここで育った。ソ