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横井英樹 ホテルニュージャパン火災事件で晒した卑小な悪人の素顔 | 戦国ヒストリー
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横井英樹 ホテルニュージャパン火災事件で晒した卑小な悪人の素顔 | 戦国ヒストリー
昭和57年(1982)2月8日、赤坂にある一流ホテル「ホテルニュージャパン」で火災が発生しました... 昭和57年(1982)2月8日、赤坂にある一流ホテル「ホテルニュージャパン」で火災が発生しました。都内では戦後最大規模の火災で33人が死亡、28人が負傷してしまったのです。これほどの大火災になったのはスプリンクラーが設置されていない、防火扉がない、適度な湿度を保つための空調装置が止められていて館内の空気が異常なまでに乾燥していた、宿泊客数に対して従業員数が少なすぎ避難誘導ができなかった、等が原因でした。 当時でも、これらの防火設備を設置することはホテルにとって義務であり、管轄の麹町消防署も点検において不備を指摘し、改善を勧告していたのですが、何の改善も行われていなかったのです。テレビでは燃えさかる部屋から脱出しようと10階の窓の外へ出て、僅かにあった外壁のでっぱりに足をかけて火災から逃れようとする男性の姿が実況中継され、その火災の凄まじさが伝えられました。 そしてホテルニュージャパンの社長