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日本に宗教は必要ですか?/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳
日本に宗教は必要ですか?/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい... 日本に宗教は必要ですか?/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳 問題はこの問いを「誰が」発しているのか、である。番組内ではムスリムとクリスチャンだ。つまり、「宗教が必要だ」と説く人物は宗教者に限られる。 彼らは当然の如く宗教を語る。だが肝心なことが抜け落ちている。宗教の定義が示されていない。ま、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)にとっては聖典ということになるのだろう。すなわち「教義」である。 数千年間にわたって続いたから、それを「正しい」とするのであれば、最も正しい人類の行為は「戦争」ということも可能だ。確かに教義は変わらないかもしれないが、「解釈」は時代によって変わる。そして思想的に袂を分かった人々が分派を形成するのが宗教の歴史であった。 よく考えてみよう。宗教は教義とそれに基づく行為と考えられているが実際は
2012/12/10 リンク