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「SLAは疑似科学だ」という批判と「科学」の意味 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
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「SLAは疑似科学だ」という批判と「科学」の意味 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
この記事のつづき。 英語教育学における2つの「科学」(対話篇) - こにしき(言葉、日本社会、教育) -... この記事のつづき。 英語教育学における2つの「科学」(対話篇) - こにしき(言葉、日本社会、教育) - 「SLA(第二言語習得研究)は疑似科学だ」という批判がある。 言わんとしていることは、正直なところ曖昧なところも多い。ただ、実務家(教育実践者)からよく聞かれるという点を考慮するならば、SLAは「科学」然と振る舞ってはいるものの、その実、まったく科学的ではなく、私たちの指導には貢献しない、こんなものは役立たずだといった意味合いだろうか。 もちろん、ここでの「疑似科学」の用法は、科学哲学における分析概念としての「疑似科学」ではもはやない。単なる(比較的上品な)侮蔑語である。したがって、SLA側がこうした批判を真摯に受け止めつつ、「我々は疑似科学でない」ことをアピールしていく意義というのは特にないはずだ。たいした根拠も示さず「バカ」と罵ってきた相手に、「いいえ、バカではありません。なぜなら