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立石様|立石地名の由来となった奇石、葛飾区立石の名所旧跡
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立石様石碑と鳥居 立石様外観 立石様(小さな石です) 立石稲荷神社石祠 立石様の案内 立石様は、古墳時... 立石様石碑と鳥居 立石様外観 立石様(小さな石です) 立石稲荷神社石祠 立石様の案内 立石様は、古墳時代に遠く千葉県の鋸山付近から古墳の石室を造る石材として運搬してきたもので、奈良時代以降になって墨田から小岩に抜ける古代東海道の道しるべとして転用されたものと考えられています。 新編武蔵風土記稿による立石様の案内 稲荷社 立石稲荷と号す。これも神体石にて直径2尺許、高さ1尺程下は土中に埋り、其形伏し牛に似たり。此石冬はかけ損し、夏に至れば元の如くなれり。かく寒にかけ暑に癒ると云は活蘇石なるへし。(新編武蔵風土記稿より) 葛飾区教育委員会掲示による立石様の案内 立石の地名は、この地に「立石様」と称する奇石から起こった地名で、すでに室町時代の古文書にその地名が記載されています。古代において官道脇に道しるべとして石を設置することがありその所を「立石」と呼びます。「立石様」は古墳時代に遠く千葉県の鋸