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学校は社会を救えるか――「学校効果」論批判 第3回 「公正のための力」? - (元)登校拒否系
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学校は社会を救えるか――「学校効果」論批判 第3回 「公正のための力」? - (元)登校拒否系
前回は、「学校効果」モデルが内包する方法論的欠陥を指摘しました。しかし、もし仮にそのような欠陥を... 前回は、「学校効果」モデルが内包する方法論的欠陥を指摘しました。しかし、もし仮にそのような欠陥を見逃して他よりも「効果的な」学校が存在すると認めたとしても、「学校は公正のための力となりうる」*1と言えるかどうか疑いが残ります。(1)「学校効果」は社会の不平等を正すのに十分な力をもっているか? (2)「効果的」とは誰にとってのことか? という二つの問題点があるからです。 1. 十分に強力か? 既に繰り返し見たように、「学校効果」のサイズを測定するには、入学者についての変数を統計的にコントロールする必要があります。このことは前回確認した方法論的な困難につながりました。しかしながら、そのような困難を脇に置いて、研究者が全ての学校外のファクターをコントロールすることに成功したと仮定しても、「学校効果」がどれだけ強力なものであるかということについてなお疑いが残ります。というのも、学校外の要因を打ち消