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2008-07-29
「日本書紀」によれば、天智天皇が崩御した後、出家して吉野に下っていた天智の弟である大海人皇子の元... 「日本書紀」によれば、天智天皇が崩御した後、出家して吉野に下っていた天智の弟である大海人皇子の元に、近江朝廷が皇子をなきものにしようとしているという情報がもたらされ、そのため「やむを得ず」挙兵したということになっている。 これは、大海人側から仕掛けたのではないとして、天武天皇の正当性を主張するのであるが、「書紀」編纂の中心人物は天武の子である舎人親王であり、素直に受け取ることができない、というのは良く言われるところ。しかし、舎人親王が都合の悪い歴史を改竄することができたのならば、なぜこれを改竄しなかったのかと疑問に思う点がある。 一つは山背大兄王(やましろのおおえのみこ)が、蘇我入鹿に滅ぼされた記事。 643年11月1日、ついに蘇我入鹿は巨勢徳多、土師娑婆連に、斑鳩宮の山背大兄王を襲撃させる。山背大兄王の奴三成と舎人10数人が矢で土師娑婆連を殺し、馬の骨を残し一族と三輪文屋君(敏達天皇に仕