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北朝鮮は「ソビエト」最後の日々をどう見たか
1991年12月、冷戦はソビエト連邦の崩壊によって幕を閉じた。世界中の多くの国が待ち望んでいた出来事だ... 1991年12月、冷戦はソビエト連邦の崩壊によって幕を閉じた。世界中の多くの国が待ち望んでいた出来事だったが、ソ連の崩壊に恐れおののいていた国がある。 北朝鮮だ。自らも遠からず同じ運命をたどることになるのではないか。北朝鮮がそう恐れるのは、理由のないことではなかった。確かに、北朝鮮は今日まで体制の崩壊を免れてきた。しかし、1991年当時は体制を維持できるかどうか、極めて不確かな状況にあったのだ。 ソ連と親しかった北朝鮮 ソ連の崩壊は、ミハイル・ゴルバチョフ氏(1985年にソ連共産党書記長、1990年にソ連の初代大統領に就任)が進めた「ペレストロイカ」政策から始まった。ペレストロイカは「再構築」を意味する言葉だが、国を根本から変革する試みは結果的にソ連の崩壊を招き、世界秩序を「再構築」することになる。 ゴルバチョフ時代に市民の個人的、政治的自由は劇的に拡大したが、ソ連経済は破綻した。 198