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神戸洋菓子店が破綻、「地方スイーツ」の落日
神戸が洋菓子の町になったのは、幕末の開国で貿易港となったことが背景にある。江戸時代の寒村は、日本... 神戸が洋菓子の町になったのは、幕末の開国で貿易港となったことが背景にある。江戸時代の寒村は、日本第三の経済規模まで上り詰め、昭和後期には、洋菓子やファッションの町など、独自のブランド力で知られるようになっていく。小さいが特徴がある地方都市として、人気を博していったのである。 洋菓子の町として発展するきっかけは、1923(大正12)年に起こった関東大震災である。先に開港し、東京に近いことから洋風文化の拠点だった横浜から、大勢の外国人が神戸に移った。 阪神淡路大震災で「潮目」が変わった ユーハイムを開いたドイツ人、カール・ユーハイムも1922年に横浜で開業したが、関東大震災のため神戸に拠点を移している。神戸は1897(明治30)年に開業した神戸風月堂が洋菓子の町としての基礎を築いており、そこへユーハイム、亡命ロシア人が1931(昭和6)年に開いたモロゾフなど、町の人に愛される洋菓子店が増えてい