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秋葉原殺傷事件のテレビ報道をみて感じること - モチベーションは楽しさ創造から
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秋葉原殺傷事件のテレビ報道をみて感じること - モチベーションは楽しさ創造から
しつこいようですが昨日に引き続き、秋葉原の無差別殺傷事件についてのエントリ。 事件を報じるテレビ局... しつこいようですが昨日に引き続き、秋葉原の無差別殺傷事件についてのエントリ。 事件を報じるテレビ局が、「犯人は、被害者達の人生や痛みがイメージできなかったんでしょうね」等とよく言っています。犯人のイメージ力の欠如を避難しているわけですが、テレビ曲なども人の事は言えないのではないかと思ってしまいます。 テレビ局自体が、「テレビを見ている視聴者の姿がイメージできているのか?」ということに疑問を持つような報道が目に付きます。 今回のような殺傷事件。確かに、事件の背景となる事実を報道するのも大事でしょう。私のような一般視聴者の野次馬根性を満たしてやる情報提供も、視聴率アップの為には大事なのかもしれません。 しかし、免許事業者として、国から、貴重な資産である電波の利用を許可をもらっている事業者ならば、もっと大事な事に留意して、報道していく必要があるのではないでしょうか? それは、「自分達が作っている