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宗教の違いを超えて、禅僧と神父が語る「信仰心を持つ」意味
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宗教の違いを超えて、禅僧と神父が語る「信仰心を持つ」意味
近年、カルト教団の問題や政治との癒着など宗教をめぐる批判が多い。だが、宗教は本当に社会にとって不... 近年、カルト教団の問題や政治との癒着など宗教をめぐる批判が多い。だが、宗教は本当に社会にとって不要なものなのか。「キリスト教と仏教の共通点」「宗教の良さ」について、禅僧と神父が互いの考えを話し合った。 「虚しさ」と「空」...執着で一杯の心に神は入れない【片柳】ローマ教皇フランシスコは、即位後の最初の公式文書の中で、現代社会の最大の問題は「虚しさ」である、と指摘しました。私たちは何によって心を満たしたらよいかわからず、「幸せとは何か」を見失ってしまったというのです。 たとえば、人間には金銭や名誉を欲する気持ちがあり、「有名になってちやほやされる」ことが幸せだと考えてしまいがちです。 しかし、たとえ成功して名声を得たとして、そのために人々からちやほやされる、ということは、失敗すれば人々が自分のもとから離れることを意味しています。それが果たして幸せといえるでしょうか。 成功しても失敗しても傍に