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観光客の哲学の余白に(26) 訂正可能性と反証可能性|東浩紀
本稿が読者に届くころには『ゲンロン12』が刊行されているはずである。ぼくの巻頭論文を読んでいただけ... 本稿が読者に届くころには『ゲンロン12』が刊行されているはずである。ぼくの巻頭論文を読んでいただけた読者も多いと思うが、8万字もの論文を書くとなると執筆の時間も長く、本文に組み込めないさまざまなアイデアを思いつく。今回はそのひとつを紹介することにしたい。 巻頭論文は「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」と題されている。論文といえば論文だが、プラトンからウィトゲンシュタインとクリプキへ、さらにはアーレントとローティへと時代もジャンルも超えていて、まともな研究者には書くことができないであろうアクロバティックな展開になっている。否定的にとれば、学問的に穴だらけで読むに値しないということになるだろうし、じっさいそういう批判も受けるだろう。けれども、ぼくはそういう文章を発表するためにゲンロンを創業した。だから気にしていない。 その論文では最初のほうでカール・ポパーを参照している。1902
2021/12/08 リンク