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なぜ民主主義か、 どこまで民主主義的であるべきか - 長谷部恭男|論座アーカイブ
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なぜ民主主義か、 どこまで民主主義的であるべきか - 長谷部恭男|論座アーカイブ
なぜ民主主義なのか、それが問われることは滅多にない。民主主義が正しいのは当然だからだろうか。しか... なぜ民主主義なのか、それが問われることは滅多にない。民主主義が正しいのは当然だからだろうか。しかし、なぜ民主主義が正しいのかにも根拠はあるはずで、その根拠に応じて、どこまで民主主義を信頼してよいかも決まってくる。ここではまず、民主主義の標準的な決定方式である多数決にどのような根拠があるかを考えてみよう。 1.多数決で結論を決める理由 人々の集団では、統一した決定をしなければならないことがある。昼食で何を食べるかであれば、それぞれが好きなものを選べばよいであろうが、集団のリーダーを決めるとき、ある人がリーダーになることに賛成した人にとってだけその人がリーダーになるというわけにはいかない。外国と戦争をするかどうかを決めるときも、戦争をしたい人だけが戦争をすることにはできない。国としての統一した決定が必要である。 集団として統一した決定が必要となるとき、しばしば多数決で結論が決められる。議会でも