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10+1 web site: 「〈ポスト〉マン」は何度ベルを鳴らすのか? 歴史と批評の間に広がる「スーパーフラット」な断層について|八束はじめ
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10+1 web site: 「〈ポスト〉マン」は何度ベルを鳴らすのか? 歴史と批評の間に広がる「スーパーフラット」な断層について|八束はじめ
「〈ポスト〉マン」は何度ベルを鳴らすのか?──歴史と批評の間に広がる「スーパーフラット」な断層につ... 「〈ポスト〉マン」は何度ベルを鳴らすのか?──歴史と批評の間に広がる「スーパーフラット」な断層について プロの書評子は知らないが、私のような人間がすると、その本の前に読んでいたものが何かが微妙に影響する。塚本由晴『「小さな家」の気づき』の書評の時も中国共産党の「長征」ものを読んでいたと書いた。評される本の著者たちからすれば関係ない話だから迷惑なことかもしれないが、人間のやることとて止むをえない。今度私が読んでいたのはアレクサンドル・コジェーブの『ヘーゲル読解入門』である。「入門」とあるが、とんでもない。サルトル、メルロー=ポンティからバタイユ、ラカンに至るまで将来のフランス思想界の大立て者になる人々を前に行なわれたヘーゲルの「精神現象学」の微に入り細を穿った注釈の講義である。その7章につけられた注(厳密には講義よりずっとあとの第2版に追加されたもの)、つまり「歴史以後」の姿をコジェーブが日