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みみずのたはこと (徳冨 健次郎 徳冨 蘆花)
1906(明治39)年、聖地パレスチナを巡り、ヤスナヤ・ポリヤナにトルストイをたずねた後帰国した徳冨蘆... 1906(明治39)年、聖地パレスチナを巡り、ヤスナヤ・ポリヤナにトルストイをたずねた後帰国した徳冨蘆花(健次郎)は、翌年、千歳村粕谷へ転居した。新宿から三里。当時は鉄道もまだ敷設されていなかったこの地で、蘆花は農作業にいそしみながら、その生活ぶりを書き始めた。それをまとめたのがこの「みみずのたはこと」である。作品には様々な人々が登場するが、なかでも北海道陸別に住んでいた関寛斎(関寛)に関する記述は、心を打つものがある。寛斎は司馬遼太郎の「胡蝶の夢」にも描かれているが、七十を過ぎて徳島から北海道に入植したという、稀有な人物である。(小林繁雄)