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母が店主、駐輪場・駄菓子屋(駅 三江線35の物語:7):朝日新聞デジタル
広島県安芸高田(あきたかた)市高宮町船木に船佐駅ができたのは1955年。当時の写真には、たくさん... 広島県安芸高田(あきたかた)市高宮町船木に船佐駅ができたのは1955年。当時の写真には、たくさんの自転車が並ぶ駐輪場が写っている。 同市甲田町の吉野隆次さん(68)は60年余り前、駅前に住んでいた。一家で1日10円の駐輪場と駄菓子屋を切り盛りし、母政子さん(91)が店主だった。 亡くなった父静雄さんは国鉄の機関士で、三次(みよし)―式敷(しきじき)間の開通を機に駅前に移り住んだ。乗降客が多かった当時、父が手作りした屋根つきの駐輪場には毎日30台ほどの自転車が止められた。夜間に盗まれないよう、隆次さんも2人の妹たちと一緒に全ての自転車を家に運んだ。 駄菓子屋に並んだのは瓶に入ったあめやチョコ。学校帰りの中学生や仕事終わりの保線作業員が立ち寄り、奥にあった座敷などでくつろいだ。 「母は優しく、あまり怒られたことはないが度胸がある人」と隆次さん。小学生の時、家の近くの江の川で遊んでいると急に増水
2018/03/29 リンク