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美を追求した若者たち 「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」:朝日新聞デジタル
「我々は起(た)つ」。過去から分離し、全ての建築を真に意義あらしめるために――。今から100年前、... 「我々は起(た)つ」。過去から分離し、全ての建築を真に意義あらしめるために――。今から100年前、建築の芸術性を世に訴え、建築界の革新を目指した若者たちがいた。彼らが結成した「分離派建築会」の歩みを検証する「分離派建築会100年展」が10日、東京都港区のパナソニック汐留美術館で始まる。今や知る人ぞ知る「青春」の軌跡は、日本の建築史をひもとく重要な鍵でもあった。 文明開化以降、西欧の様式をまねてきた日本の建築界は明治末、「日本独自の建築とは何か」という問いに直面した。過去の様式からの分離を掲げた欧州の芸術運動「セセッション」が知られる中、鉄筋コンクリートの普及を背景に、建築の芸術性より質実剛健な構造を重視する風潮が高まっていく。 それに反発したのが、東京帝国大学建築学科の同期だった石本喜久治、瀧澤眞弓、堀口捨己(すてみ)、森田慶一、矢田茂、山田守。6人は1920(大正9)年夏、卒業設計を集め
2020/10/09 リンク