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石油コンビナート反対闘争|三島市
昭和38年(1963)、工業整備特別地域に国から指定された東駿河湾地区に石油コンビナート建設が計... 昭和38年(1963)、工業整備特別地域に国から指定された東駿河湾地区に石油コンビナート建設が計画された。 三島市中郷地区に富士石油が日産処理能力15万バーレル(1バーレル159リットル)の製油所をつくり、そのナフサの供給をうけて住友化学が清水町にエチレン年産10万トンをふくむ16品目の石油化学工場を設立、地方で東京電力が富士石油の重油で140万キロワットの火力発電所を沼津市の牛臥(うしぶせ)海岸埋立地に建設しようという、四日市をうわまわる規模の石油コンビナート建設がその内容だった。 計画は38年12月、三島・沼津・清水の二市一町合併促進の連絡協議会の席上、静岡県企画調整部長から突然発表された。 石油コンビナート 第2次計画案 宮本憲一編『沼津住民運動の歩み』(P26)より。昭和36年発表の石油コンビナート第1次案が挫折したあと、経済事情の好転、東駿河湾地区の工業整備特別地域指定などを背景