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パックマン誕生から40年、ゲーム史を塗り替えた黄色いアイコン
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パックマン誕生から40年、ゲーム史を塗り替えた黄色いアイコン
「パックマン」が東京に初めて登場した40年前、それが歴史上最も成功したアーケードゲームになると予... 「パックマン」が東京に初めて登場した40年前、それが歴史上最も成功したアーケードゲームになると予想できた人は誰もいないのではないだろうか。 当時、ビデオゲームは比較的新しいメディアだったが、ヒット作を生み出す決め手はすでに確立されていた。すなわち、標的に向かって弾を撃つという要素だ。 しかしパックマンの生みの親、岩谷徹氏は、それとはまったく違うものに取り組んでみたいと考えていた。 若手ゲームデザイナーとして日本のゲーム会社ナムコに勤めていた岩谷氏は、パックマンの構想を練り始めた1970年代後半の状況について「アーケードは暴力的なゲームであふれていた。エイリアンをやっつけるような内容のものばかりだった」と振り返る。 ゲームをしに立ち寄るのは男の子ばかりだと感じた岩谷氏。アーケードを女性やカップルも訪れたくなる場所にするべく、女性が楽しめることを念頭に置いたゲーム作りに取り掛かった。 当時25