第5回 「慰安婦問題」の責任はだれが取るべきか――上野千鶴子の一貫性と揺らぎ:河野有理 | 日本史はどのように物語られてきたか | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
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第5回 「慰安婦問題」の責任はだれが取るべきか――上野千鶴子の一貫性と揺らぎ:河野有理 | 日本史はどのように物語られてきたか | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト
『ナショナル・ヒストリーを超えて』が発刊された同時期、上野千鶴子氏は「つくる会」に対抗する活発な... 『ナショナル・ヒストリーを超えて』が発刊された同時期、上野千鶴子氏は「つくる会」に対抗する活発な言論活動を展開していた[記者会見する東京大学の上野千鶴子名誉教授=2015年11月26日](C)時事 (前回はこちらから) 上野千鶴子の「不在」 再び『ナショナル・ヒストリーを超えて』に戻ろう。1998年5月に刊行されたこの本において、今になってみるとむしろその不在によって自らを際立たせているように見える人物がいる。坂本多加雄らのいわゆる「つくる会」の面々ではない。この時期、やはり「つくる会」に対抗する活発な言論活動を展開していた人物――上野千鶴子である。 その一年ほど前、1997年9月にシンポジウム「ナショナリズムと『慰安婦』問題」が開催された。『超えて』にも論考を掲載していた高橋哲哉・徐京植が登壇するパネルセッションに先立って冒頭に開催されたのが、他ならぬこの上野千鶴子と歴史家・吉見義明の「
2024/09/30 リンク