エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
Introducing: シチズンブランドの100周年を記念した、そのルーツを思わせる手巻き式懐中時計が登場
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
Introducing: シチズンブランドの100周年を記念した、そのルーツを思わせる手巻き式懐中時計が登場
シチズン時計の前身となる尚工舎時計研究所が発足したのが、1918年のこと。当時の日本では、携帯用の時... シチズン時計の前身となる尚工舎時計研究所が発足したのが、1918年のこと。当時の日本では、携帯用の時計と言えば海外から輸入されてきた舶来の懐中時計を指すものだった。そんななか、尚工舎時計研究所が目標として掲げていたのが時計の国産化だ。発足当初は国産の工作機械で部品を試作しつつ、欧米製の工作機械を輸入し、技術者育成のために時計学校も開設するなど着々と夢に向かって歩みを進めていった。そしてついに1924年、悲願となる国産懐中時計の製造を達成する。だがこのとき、記念すべき第一号となる製品には名前がなく、“16型”という品番で呼ばれていた。そこで同社は、当時の東京市長である後藤新平伯爵に命名を依頼、“永く広く市民に愛されるように”と、“CITIZEN”の文字が文字盤に刻まれることになった。これが今からちょうど100年前、シチズンというブランドが世に誕生した瞬間だった。この名前は1930年、尚工舎が