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入社3年目でシリコンバレーへ留学
編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直... 編集部から:本連載では、IT業界にさまざまな形で携わる魅力的な人物を1人ずつ取り上げ、本人の口から直接語られたいままでのターニングポイントを何回かに分けて紹介していく。前回までは、漆原茂氏が入社するまでを取り上げた。今回、初めて読む方は、ぜひ最初から読み直してほしい。 常にコンピュータの最先端を追い続けてきた漆原氏。 東大工学部を卒業後、沖電気工業株式会社(以下、沖電気)に入社してミニコンのソフトウェア開発に従事するも、UNIXを知り、そして当時の最先端の研究がシリコンバレーで行われていることを知る。自分の目でどうしてもその最先端の姿を確かめたかった同氏は、ついにシリコンバレー行きを決意するに至る。1989年、同氏はまだ24歳の若さだった。 当初は、会社を辞めて渡米しようと思っていた漆原氏だが、その前にまずは沖電気の社内留学制度に志願してみた。ところが意外なことに、これが認可される。沖電気