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追悼 水上勉さんのこと/不破哲三
九月八日昼、北京で開かれた第三回アジア政党国際会議から帰って、その状況と成果を「しんぶん赤旗」紙... 九月八日昼、北京で開かれた第三回アジア政党国際会議から帰って、その状況と成果を「しんぶん赤旗」紙面で紹介する仕事の相談に追われている最中、ニュース報道の「……八十五歳……」の声が、テレビの画面から耳に入ってきた。すぐ「雁の寺」「飢餓海峡」など作品紹介の言葉が続く。間違いなく水上勉さんである。 妻がすぐ長野の勘六山山房に電話を入れる。陶器づくりをしている角(すみ)さんが最初に出て、すぐ長女の蕗子さんに代わる。なくなったのは、今朝がただったとのこと。「安らかで美しい顔だった」との蕗子さんの言葉がわずかの慰めだった。この秋うかがうつもりでいたのに、もう会えないか、との思いがどっと胸を締める。 十五年前、交流は思わぬことから始まった 私と水上さんとの交流は、思わぬことから始まった。北京訪問中に天安門事件にぶつかり、激動と緊張のただなか帰途についた水上さんが、帰国のその夜に心筋梗塞(こうそく)の発作