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砂漠を放浪、秘書から弁護士へ、大の恩人だった議員の死…。波瀾万丈の元明石市長・泉房穂さんが「何でもOK!」と思えるようになったワケ - まぐまぐニュース!
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元明石市長で現在さまざまなメディアに登場し活躍している泉房穂さん。そんな泉さんの有料メールマガジ... 元明石市長で現在さまざまなメディアに登場し活躍している泉房穂さん。そんな泉さんの有料メールマガジン『泉房穂の「何でもOK!」』が、去る10月6日に創刊されました。前回、パチンコ屋さんで働いていた過去などについておうかがいしたインタビューの第三弾をお届けいたします。『日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来』など次々と出版される本などが話題になっている、いま最も日本国民の期待を背負っている人物、泉房穂さんは、どのようにして政治の世界に入っていったのでしょうか? 東大を「退学」して“放浪の旅”へ 泉房穂(以下、泉):実は東大時代、学部長と喧嘩してしまって退学届を出して放浪の旅に出かけていたことがあるんですよ。バックひとつだけ持ってインドに行ったんですけど、ガンジス川で亡くなった人を燃やす様子を目の当たりにして「達観」してしまって。当時いろいろ挫折感に苛まれていたから、日本に帰りたくなくな