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福岡城の創建時のしゃちほこ、所蔵を確認 幕末まで通しても出土例少なく ほぼ完成形は初めて | 西日本新聞me
国指定史跡、福岡城跡(福岡市中央区)にあった鯱瓦(しゃちがわら)(しゃちほこ)が、九州大総合研究... 国指定史跡、福岡城跡(福岡市中央区)にあった鯱瓦(しゃちがわら)(しゃちほこ)が、九州大総合研究博物館(同市東区)に所蔵されていることが分かった。築城期(1601~07年)に作られた可能性がある。この時期の福岡城の鯱瓦は希少。幕末まで通しても出土例は少なく、大半が瓦片で完全な形に近い例はない。創建時からの城の成り立ちを考える、貴重な史料となりそうだ。 この鯱瓦は胴部だけで頭部や尾、ひれの部分はない。胴部は縦約30センチ、横約25センチ、高さ約50センチと大型。鯱瓦は建物の最上部に魔よけとして取り付けるもので、城郭では櫓(やぐら)や大きな門、天守閣などにあった。福岡城では天守閣の存否をめぐり議論が起きている。 福岡の国学者で、九州での博物館建設構想に先鞭(せんべん)をつけた江藤正澄(1836~1911)が収集し、死後、遺族が同市・六本松の旧制福岡高校(九大旧教養部の前身)にあった資料館「玉泉
2018/03/26 リンク